
【俑馬】(読み:ようば)
泰山製陶所が製作した「俑馬」です。「平安泰山造(平安泰山窯)」名で売り出されました。
2026年は午年。最初は「馬」に関係のある作品からご紹介します。
この「俑馬」は、石膏型から手起こしされ、施釉、石炭窯で焼成されました。大正期の作品です。釉薬は三彩釉。京都市陶磁器試験所(五条坂)で開発された「緑釉」と「伊羅保釉」、二種類の釉薬が使用されています。型を成形した作家は不明、泰山製陶所が発注製作した独自型かも不明です。
泰山製陶所の「俑馬」は、新年を祝う調度品として作られ、お得意様を中心に販売されました。サイズは大と小の二種類があり、写真のものは小です。尚、同じコンセプトで作られた「干支シリーズ」は十二支、全て現存しています。
池田泰山は中国起源の縁起物や風水に影響を受けており、この干支の陶磁器製品もそのひとつでした。木箱には黄色の布に包まれ入れられました。これも風水による影響です。
「俑馬」は本来は古代中国の墳墓に副葬品として埋葬された(兵馬俑)ですが、時代によってその姿やサイズが少しずつ変化し、唐時代には三彩釉により施釉された小型の意匠が作られ、縁起物としてアジアの広い地域で重宝されました。日本にも輸入され、京都市陶磁器試験所で「三彩釉(唐三彩)」が研究されたきっかけも「俑馬」であったことが判っています。

釉薬がまるで流れ落ちるような表現は、釉薬を垂れ流した状態ではなく、筆によりまるで釉薬が垂れ流れているような表現を行ったものです。池田泰山の「美しさ」のこだわりのひとつでした。「偶然ではない必然の美」を求めたこの考えは、同時期に活躍した小森忍の作品にも見られます。名古屋市役所入口すぐ階段両脇に設置された陶磁器ランプ(小森忍作)にも同じような釉薬の流れを見ることが出来ます。
※「三彩」とは二種類以上の釉薬が使われた時に表現される言葉です。京都市陶磁器試験所で研究された「三彩釉」は唐時代に中国で作られたもの。日本ではそれより以前に遣唐使により中国から持ち込まれた三彩釉の壺があり、それを模倣する形で作られた「国産三彩釉」の陶磁器製品があります。こちらは「奈良三彩」と呼ばれます。
京都市陶磁器試験所にて作られた三彩釉は奈良三彩をより進化させる形で研究されたもので、鉛の用い方の技術進歩により、より低温にて焼成出来るように工夫されていました。釉薬の発色には欠かせない鉛を高温で焼くと高確率でガラス化してしまいます。ガラス化するとヒビや割れの原因になり、陶磁器全体が硬く感じられました。当時はガラス化した釉薬の輝きはあまり好まれませんでした。陶磁器を「より美しく」、「柔らかな表現」で焼けるように研究されたものが、京都市陶磁器試験所にて開発され、泰山製陶所で用いられた三彩釉です。この三彩釉の技術は現代でも使われ続けています。
泰山製陶所は、タイルのみを作っていた会社だと思われていますが、実はタイルを作りはじめたのは創業後10年ほど経ってからでした。それまでは、茶碗、皿、室内装飾品、花瓶、陶額、壁泉などの製造が中心で、その多くが清水焼の陶磁器製品として人気を集めました。一部はお土産品として五条坂の陶磁器店で扱っていたことが判っています。特に他の製陶所の製品に比べ、手頃な価格であったことが人気のひとつでした。
五条坂で泰山製陶所製品を扱っていた「萬古堂(注:1)」さんでは、泰山製陶所との関わりがあったことから、移転後(五条通りの拡張による)のお店の看板に泰山タイルが使われ、その名残を感じることが出来ます。移転前の店舗は、お店の前面が泰山タイルで飾られた状態であったとのこと。
「布目タイル・ボーダー・コバルト結晶釉」、「装飾タイル・75号角・鉄砂釉」2種類のタイルが現在の看板に使われています。尚、「装飾タイル・75号角・鉄砂釉(3・4枚目)」は武田五一がデザインしたもの。「装飾(ねじねじ)タイル・75号角・茶色系釉薬(1・2枚目)」は泰山製陶所で作られたものか不明です。




陶磁器製品の価格差は池田泰山と同時期に活躍した別の陶工(河井寛次郎、濱田庄司、清水六兵衛、宇野仁松など)とは歴然としていました。
池田泰山は「陶磁器は生活の中の一部であり、使ってこそ」だと言う思いがあったとのこと。当時一世を風靡した「民藝」の流れとは一線を画した活動も貫いていました。それが池田泰山が五条坂に工房を構えなかった理由のひとつでもありました。
この価格差は製品の流通や現在の価値にも影響を与え、多くの製品が流通した泰山製陶所製品は、現在に至るまで“安価な取り引きがされる”きっかけとなりました。その為“価値が無い”と判断され処分されることが多くなってしまいました。ゆえに現在は骨董品やアンティークの市場にあまり出回らなくなっているのが現状です。


泰山製陶所は「ガラス製品」や「鉄製品」の製造にも取り組みました。同じ「窯業」のくくりの中での挑戦でしたが、どちらも製品化までは至らず、現存品もほとんどありません。写真は鉄版に裸婦像がデザインされたもの。「平安泰山造」の名が入っています。意匠や製作時期は不明です。(柏原所蔵)
また戦前には「施釉煉瓦」や「施釉ブロック」などの製作も行いましたが、それらは泰山製陶所で一から作られたものではなく、泰山製陶所近くの別の製陶所から焼成前の成形生地を購入し、泰山製陶所の刻印を押し、施釉、焼成して、出荷されていました。こちらは別の機会にレポートします。
※注:1 柏原が発見し、2つ以上のエビデンスをもって泰山タイルだと判断したもの。研究者、専門家による剽窃(パクリ)はご遠慮ください。