
日酒販ビル(読み:にっしゅはんびる)
大佛美術タイル(特注品)陶板型・なまこ釉
ガクブチのヤマモトや六曜社のタイルに見られる、生地に凹み加工を加えたものではなく、逆に山型の意匠を加えたタイル。これは凹みの反対は山型であるとの発想から生み出されたものです。
同時に釉薬粘度の開発が進み、釉薬が流れ落ちなくなったために可能になった意匠でもあります。釉薬の溜まりが起こらないため、表面のガラス化もほとんど見られません。大佛組の釉薬技術の進歩は目覚ましく、酸化と焼成を上手く使い、幅の広い色の表現をコントロールしていました。
このタイルは、信楽焼から発想を得た「なまこ釉」を使用し、酸化焼成では鮮やかな青を、還元焼成では黒にも近い濃紺を表現しています。一部、灰色の窯変も見られます。また施釉後、釉薬が乾く少し前に手拭いで表面を擦ることで、マッドな質感の意匠を表現する工夫もされています。ひとつの釉薬で、青、灰色、濃紺、黒、さらに艶、艶消し、マッド質、様々な意匠を表現したのは、釉薬技術に関して泰山製陶所の影響を強く受けていたためです。

また大佛組は瓦製造の高い技術を有していた為、大型タイルを成形する為の型の製作や、その型から手起こしで製造することが可能でした。特に大型のタイルは、生地の製作時、型へよりしっかりと土を詰め込む必要があり、その作業が最も大切であったことが製作記録から判っています。なぜならば生地の詰め方が緩いと内部に空洞が残り、焼成時、その部分に残っていた空気が温まることにより膨張し破裂する原因となりました。その為、大型タイルは型からの手起こしをベースとしていたものの、木槌で土を叩いて押し込むなどの工夫がされていました。この凸型のタイルの商品名(愛称)には、「フジサン」や「エベレスト」などの山の名前が付けられていました。


日酒販ビルは現在「中央診療所」として使われています。ビル全体には大佛タイルの小口タイルが使われています。こちらは機械で作られた量産型で、釉薬は「白窯変釉」が使用されています。「酸化焼成」です。一部、「ロットの違い」、「釉薬の厚さによる窯変」、「還元焼成」気味による青色の窯変が見られますが、全て同じ釉薬です。

日酒販ビル隣りビルとの間壁には別のタイルが使用されています。こちらも大佛タイルの小口タイルです。こちらにも同じ「白窯変釉」が使用されています。釉薬の粘土を緩め、ハケで一回塗りされています。注目したい点は、釉薬が土に弾かれており「土を生かした表現」だということです。施釉、無釉、どちらかしかない量産タイルで、その中間の表現はとても斬新でした。尚、こちらのタイルは「手起こし」によるものです。
釉薬の発色は、タイル生地の「土の色」にも影響を受けます。上で紹介した小口タイルは「灰色の土」が使われ、こちらは「赤色の土」が使われています。大佛組のカタログには「特殊配合による土」に拘っていることが紹介され、「土の味わい」を感じるタイルを目指していたことがコンセプトの最初に紹介されています。釉薬だけに頼らず、土の力も利用していたところは、他のタイル会社とは一線を画していました。
大佛組の考える美術タイルの姿は、建物を彩る「装飾」ではなく「しつらえ」としての役割が大切であると考えていました。特に京都の建物においては、品のある表現方法を模索していたことも判っています。
その理由は、大佛組の受注先にあります。大佛組は瓦製造を基本としており、その延長上に美術タイルや衛生タイルの販売がありました。実はそのお得意先は、ほぼ神社仏閣やその門前町だったのです。その為、泰山タイルのような洋館を彩る為の受注はほとんどありませんでした。
大佛組は会社の強みを生かし、取り引きのあった神社の氏子や、寺院の檀家から顧客を広げて行きました。結果的に関係のあった地域の同業組合や職人工房からの受注を多く受けることに成功します。例えば、東西本願寺共に大佛瓦が使われていますが、その繋がりから門前町の旅館は大佛タイルが使われていることが多くなっています。
今回ご紹介している大佛美術タイルにおいてもそれが当てはまり、日本酒類販売組合からの受注で作られたタイルでした。(旧立誠小学校でのタイル使用がきっかけ)
地域の建物で使われることが多くなった大佛組のタイルは、行政からの信頼を得ることに成功します。その為、京都市内の番組小学校においては8割以上が大佛タイルを使いました。大佛組は地域の建物への納入を最優先に行い、地域に根差した地産地消を強くうたっていたことも大佛組が大きく支持された理由でした。
追記:大佛組は地域の会社同士で支え合うことも行っていました。大佛組の従業員は、タイル製造の取り引きのあった人形店から雛人形や五月人形を購入、また大佛組の顧客にその人形店の広告を配布したり、紹介するなどもしていました。