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東京国立博物館(読み:とうきょうこくりつはくぶつかん)
東京国立博物館(旧東京帝室博物館本館)で使われている泰山製陶所の製品は「鬼瓦」のみです。昭和12年製造。天目釉。(朱天目釉)
泰山製陶所の記録では、34基の鬼瓦が設置されています。このうち30基が「鬼面」で、残る4基は方角を守る「四神」の意匠です。玄関上部「朱雀(南)」の他、「青龍(東)」・「白虎(西)」が設置されていますが、「玄武(北)」のみ現在は設置されていないとのこと。
泰山製陶所の記録では「玄武」もあることになっているので、なぜ設置されていないのか謎ですね。ちなみに、現在設置されている「四神」3基と、「鬼面」一部は、1969年(昭和44年)に池田泰佑さんによって作られたもの。泰山製陶所で当初作られた際には「天目釉」が施されていたとのことですが、泰佑さんが新しく製造した際、思ったよりも「朱色」が強く発色した為、「朱天目釉としました」とのこと。


他の瓦は「泰山陶瓦合資会社」の名で納入されていますが、この会社は「泰山」の名前を使ったペーパーカンパニーであり実態がありません。泰山製陶所が受けた仕事を、愛知県、滋賀県、石川県、兵庫県(淡路島)の瓦専門会社に下請けに出しましたが、施主から泰山製陶所(京都)での製造を強くお願いされた為、その瓦製造会社を紙面上でのみ「泰山製陶所の関連会社」であるかのように見せ、結果的には下請けにて製造を行いました。これは当時、泰山製陶所はとても多くの仕事を抱えていた為、やむを得ない状況であったとの記録が残っています。尚、「泰山陶瓦合資会社」で製造された瓦は「泰山製陶所の釉薬技術」が使われ、「泰山瓦」として出荷されました。泰山瓦が使われた代表的な建物は、旧甲子園ホテル、ジェームス邸、樺太庁博物館、カトリック大津教会など、日本全国、北から南まで多岐に渡り、記録上では500箇所を超えます。
ちなみに、昭和12年製造の鬼瓦は、泰山製陶所(下京区大石橋高瀬川)の窯では焼かれず、東山区泉涌寺の共同窯で焼成されたことが判っています。泰山製陶所が鬼瓦を製造した際、瓦製造のエキスパートであった「大佛組の前身にあたる組合」の技術協力を得た為であり、その組合が管理する大型の窯が最も適していた為です。この共同窯では、旧甲子園ホテルの屋根飾りをはじめ、綿業会館のタイルタペストリー(宇野製陶所製作)も焼成されました。

東京国立博物館で泰山タイルと言えば、ラウンジの「集成モザイク」が知られています。ただし、こちらは記録にありません。有識者により過去に書かれた記事に「泰山式タイル」であるかのような内容が多く見られますが、それを証明する記録や証拠、客観的事実は一切ありません。
柏原の独断と偏見では「鬼瓦を設置した際、ついでに施工しちゃった説」を主張してきましたが、池田泰佑さんとの対談をきっかけに、2024年3月以降は「間違いなく泰山式タイルである」とは言えないと判断し、「判らない。不明です。」と答えるようにしています。

『泰山製陶所の技術が使われ、泰山が関わったもので間違いない。私はそのように長らく思ってきました。ただ柏原さんと話すにつれ、当時、泰山製陶所以外にも、モザイクタイルの技術を持った会社が京都に複数あったことを知り「モザイクタイル=泰山タイル」であると安易に決めつけることは出来ないと思うようになりました。』(※池田泰佑談:泰山タイル里帰り展トークショーより)
柏原の心の声的には、「ぶっちゃけ言えば泰山の特徴は十分あり得るのです。タイルの切り方や張り方、色の繋ぎ方は、泰山製陶所による集成モザイクそのもの」です。
ただし、東京国立博物館へのタイル納入会社には泰山製陶所の名前がありません。もちろん、この作品の記録や泰山刻印もありません。同時期に泰山製陶所により作られた集成モザイクには全て「泰山の刻印」があるのです。記録と刻印が「ない」ことが何を意味するのか。また左官との共同制作にも謎が残ります。このような左官との共同制作も他に例がありません。
その後、施工時期の昭和12年頃の泰山製陶所の状況を調べると、泰山製陶所が最も忙しかった時期だと言うことも判りました。猫の手も借りたいくらいで、泰山が最も拘っていた、全て自社工場内で生産することが出来ない状況でもありました。実はこの時期からタイル生地の製造を地域のパート従業員さんに「外注」でお願いするような状況だったことも判っています。(泰山製陶所からパート従業員に支払われた金銭帳簿が残っています。)
そのような時期に、とてつもない時間と動力が掛かる集成モザイクを、東京で“ちまちま”作っていたなんてマジで考えられないのです。笑
ちなみに、泰佑さんとの話の中で最も興味深かった話は、昭和12年頃は、池田泰山が病で静養していた時期と重なるのです。泰山製陶所の集成モザイクの技術は池田泰山だけではなく、他の職人さんも習得していました。その為、他の職人さんが施工した、とは言えると思います。だから「泰山刻印がない」。泰山製陶所の公式な仕事ではない。だから「泰山刻印がない」。色々と想像は膨らみますね。ただし、やはり証拠となる「客観的事実」がないのです。
「判らない。不明。」これが、泰佑さんと、柏原が出した今現在の答えです。


さて、東京国立博物館のタイル施工記録には、下記の記録が残ります。
階段。階段室。布目タイル。茶金釉。日本陶業。
階段段鼻。茶金釉。日本陶管。
階段の布目タイルは当初、泰山製陶所に依頼が来ていましたが、結果的に日本陶業、日本陶管が製造を行いました。尚、共に泰山製陶所の釉薬技術を泰山製陶所から共有されていた会社です。
ラウンジ「集成モザイク」の下、床面に張られた小型タイル(3cm×3cm)は「不明」です。記録がありません。このタイルは集成モザイクとは別で、後から張られたんじゃないかな?と僕は思っています。(機械で裁断した跡がしっかりと確認できます。)
ちなみに、1969年(昭和44年)の鬼瓦修復時、集正モザイクの修復も行われたとのこと。
柏原:「ここの部分、めっちゃ泰山っぽいですね。」
泰佑さん:「ここは私が張り直した場所です。」
柏原:「あ、どうりで…。」笑
泰佑さん、あの世で元気ですかー?2024年3月にお約束した記事をやっと書くことが出来ました。遅くてごめんなさい。