
【大切なお知らせ】こちらの記事は、柏原が独自調査した「一次情報」です。専門家や有識者による無断使用、剽窃は固くお断りします。尚、内容の転載を行う場合には、立場に関わらず必ずご一報をお願いします。
港区立郷土資料館(読み:みなとくりつきょうどしりょうかん)
港区立郷土資料館(旧国立公衆衛生院)には、2品目の泰山製陶所製品が使用されています。
・1階 食堂(現在はカフェ) 布目タイル 7.5号角 伊羅保釉薬 黄なり目地
石膏型から手起こし制作されたもの。調査によりタイル裏側から泰山製陶所の手押し刻印が確認され、間違いなく泰山製陶所が京都で作った泰山式タイルであることが判っています。(泰山製陶所オフィシャルの納入施工リストにも建物名称と納品品目が記載されています。)
石膏型から手起こしされる際の特徴である、同じ布目柄も複数確認することが出来ます。注目したい点は、全て同じ釉薬が使われつつも、布目タイルと役物タイルに若干の色味差があること。これは役物タイルには強度が欲しかった為、タイル生地の材料に布目タイルとは異なる素材を混ぜていたためです。その為、釉薬の生地への浸透や馴染み方に変化が生じ、若干の色味差が生まれています。泰山製陶所の品質への並々ならぬ思いが感じられます。
また、泰山製陶所のこだわりは製造だけではなく、張る場所や張る順番、タイルの向きにもこだわっていました。泰山製陶所から出荷される際、張る順番通りに木箱に入れられました。これを現場の左官職人が指示通りに張って行きました。現場の判断で自由に張ることが出来なかったことも泰山式タイルの大きな特徴です。
尚、この場所のタイル目地は「黄なり」の色目地が使われています。泰山製陶所は目地の間隔や深さ、目地の見せ方にもこだわっており、衛生タイルで使われがちな白色の目地を使うことは基本的にはありませんでした。この目地の色付けには、京都の老舗絵具店「上羽絵惣」が作った「胡粉」を使った顔料を混ぜていることが判っています。



・4階 旧講堂 大型陶板 伊羅保釉 向かって左「羊」 向かって右「葦鷺」
こちらの大型陶板は彫刻家の新海竹蔵が製作したもの。昭和3年頃から8年頃に掛け新海自身が京都に滞在して製作を行いました。その後、泰山製陶所に持ち込まれ、釉薬を塗り焼成されました。一部有識者の発言に、泰山製陶所が彫刻を含めた作品製作全体を担ったような話がありますが、それは間違いです。他の作家も含め、作家は全て自身で作品を製作した上で、泰山製陶所に持ち込みしていました。特に新海竹蔵は一時期、泰山製陶所の二階に滞在し「ブックスタンド」など泰山製陶所製品の制作にも参加しています。
尚、同じテーマ(別意匠)の作品が複数作られ、東京大学付属図書館に4つ、新海の故郷である山形市役所に2つ、池田泰佑邸に1つ、現在も残ります。


新海竹藏が泰山製陶所で製作したブックスタンド。泰山製陶所の製品として販売された。ブックスタンドの裏には泰山製陶所の刻印がある。タイトルは「瑜伽」。女性が瑜伽(ヨガ)を行っているような姿。伊羅保釉。

さて、港区郷土資料館の外壁にはスクラッチタイルが使われています。こちらを製造したのは、日本陶業です。昭和初期建築のスクラッチタイルの多くは日本陶業の製品です。尚、泰山製陶所はスクラッチタイルを製造していません。
内田祥三(よしかず)が設計した、いわゆる内田ゴシック。タイル目線でもとても興味深い建物です。基本的に平面が多い建物なので、「タイルが張りやすかった」のです。また建物をそれなりに高級感のある雰囲気に見せることが出来たのがスクラッチタイルでした。タイルは煉瓦に比べて材料も少なくすみ、素材も軽く、職人への負担も少ない。左右対称の内田ゴシックは半分施工すれば、もう半分は若い職人へ作業を任せることが出来る。職人を育て、建築期間の短縮もでき、コスパもタイパも良かったとのこと。タイルはまさに夢の新素材でした。
ちなみに、関西方面で活躍していた武田五一さんも同時期にタイルを使い始めますが、内田さんとは違い、タイルに必要以上に拘っていたことが判っています。ゆえに池田泰山を悩ましていたのです。結果的に泰山製陶所での製造を諦め、独自のブランド「泰平タイル」を立ち上げ生産を開始することに。内田祥三と武田五一、そのタイルの使い方の違いを比べると大変面白いな、と思うのでした。